今年も桜が咲いた。
なかなか暖かくならずもどかしい日々が続いたが、4月になり本来の気候になってきたように感じ始めた中でやっと咲き始めたようだ。
この時期はすっきりと晴れる日が少ない。「花曇」と呼ばれる所以も納得がいく。そのせいかどうかは別として、自分の気持ちもなかなか晴れることがない。
桜の時期は別れと新たな出会いの季節。希望と不安と寂しさの入り混じる難しい時期。そういう気持ちを思いやってなのか桜はあっという間に散ってしまう。
自分もたくさんの人たちとの付き合いを絶ってきた。もう言葉を交わすこともなく会うはずもないと思えば真っ先に連絡先さえも捨ててしまう。もう振り返らないと思いたいし、根本的に人との関わりが苦手なのだと感じている。
ふと何気ない時にかつての思い出がよぎることがある。自分にも穏やかに過ごしたわずかながらの時間もあったのだなと思う半面、心を焼かれるような苦しみも同時に噛み締めないといけなくなる。思い出すことは苦しいだけで自分にとって無駄なことなのに。
この先50年も経てばもう自分のことなど覚えている人はほとんどいなくなる。どんな姿で、どんな声で、どんな話を交わしたのかなんて知る人もいなくなるだろうに。ならば今自分が抱えている鬱勃とした気持ちなど取るに足らない小さなものなのだ。
なぜ悩む。何を畏れる。今をしっかりと見据えればいい。生まれてきた意味など誰にもわかる由もないではないか。その時がくれば誰でも死ねる。一番良い終わり方を望めば良いだけなのだろう。
桜の季節が来るたびにいつも自分の死生観と語り合ってしまう。。。満開は美しく、そして儚く寂しいものだ。