ブログネタ:スポーツ選手への体罰へ意見 参加中
僕が一番最後の順番だった。
けど、珍しく怒っていた僕は、絶対に逃げないと決めていた…
野球部ってのはとにかく縦型社会。
だからどんなにヘボい奴でも、へたくそな奴でも1年先に生まれただけで先輩。
いわれのない理由で下級生が殴られるなんてことは日常茶飯事で、僕が高校生の頃の時代なんてそれが当たり前で通っていたもんだ。
雨上がりのグラウンドにできた水たまりに大きなスポンジを浸けて、吸い取った水をわきに置いてあるバケツに移す。ある程度溜まった頃を見計らい、その水を上級生に頭からかけられて、白いユニフォームが全身まっ茶色に。直後に練習試合が控えてるので、その姿を他の上級生や監督から怒られるわけだけど、そんな理不尽が堂々とまかり通るのが当時の野球部。
背中に人前で読めないような落書きを書かれ、それをマネージャーに読んでもらってこいとか、雨のグラウンドに一人箒を持って立たされ、登校中のみんなの注目を浴びながら当時流行っていた横浜銀蠅の歌を歌わされたりね。
純粋に野球をやりたくて野球部に入ったはずやねんけど、なんで毎日こんなことばっかり?って考えながら過ごしてたなぁ。
そしてある日のこと。
わが校で行われた練習試合に負けて、上級生の機嫌が非常に悪く、3年生に2年生が怒られ、そしてその腹いせの矛先が下級生の僕らに…
「お前らの球拾いに気持ちが入っていないからじゃっ!」
まったく意味不明の言いがかり。
それが理由でみんなホームベース上でケツバット。
殴られることはしょっちゅうやったから、みんな尻の部分にタオルを縫いこんでいたり工夫していたけれど、僕はそんなことしてなかった。
バットが振られる度に仲間の悲鳴が聞こえる。
そして最後が僕の順番。
僕なりに物凄く腹が立っていた。
こいつに殴られて悲鳴なんて上げるもんかと腹をくくっていた。
どんだけアホでも、どんだけヘボくても先輩は先輩。
正直そいつらなんて全く怖いと思ったことなんて一度もなかった。
でも、自分が暴れたら仲間の我慢が台無しになる。それが辛かったから自分も我慢する。そう考えていたのは確か。
だから、バットが振り下ろされても決して逃げずに受け止めてやる。決して声も上げない。
それが精一杯の僕の抵抗やったんよね。
最後ということで、そいつも気合が入りまくっていたんやろうね。
「絶対に手をケツにまわすなよ(当たると手が折れるから)」
と言いながら金属バットをフルスイングしてきた。
当然僕は尻を引かずに平然とそれを受けた。
その瞬間、それまでに感じたこともない猛烈な衝撃が全身を襲った。
とにかく目が回る。吐き気を伴う痛み。
「うわぁ~、今のは痛いでぇ~」と別の2年生が。
バットを振った上級生も、僕が避けなかったことに少し動揺を感じつつも逃げないという抵抗に腹が立ったのか、僕の背部からスパイクの歯の部分を向けて殴りたての僕の尻めがけて前蹴りを入れつつ「おらぁ!センターまで全力疾走してホームまで帰ってこい!」と怒鳴った。
それでも、僕は一言も声を洩らさなかった。
恐ろしく痛かった、息が吸えなくてぶっ倒れそうになったけど、それでも精一杯走った。
僕の尻の肉はまるで腐ったような有様になっていた。
医者に行くと、第2腰椎がつぶれていると言われた。
翌日から走ることができなくなっていた。
僕は、野球部を自主退部した。練習ができなくなったからという理由を語ったのみで。
部室に道具を引き取りに行くと、僕のスパイクとグラブには上級生の名前が書いてあった…
傷が癒え、後遺症もなくなんとか動けるようになったので、仲の良かった友人に誘われるまま柔道部に。
筋トレ部か?って思えるくらいにすごい練習やったけど、それなりに卒業するまで在籍していたけど、僕の気持ちの中は野球への思いがまだまだくすぶっていた。
でも、社会人になってからクラブチームに所属もできて、おかげで野球は存分に楽しめたし、今はソフトボールに移行したけど、昔の分も取り戻す勢いで関われてる。
現在、子供から大人まで幅広く指導する機会も多いけれど、自分が若いころに体験したことが今は活かされてるんじゃないかな?って思えるな。
痛みは与えるものではなく、受け止めるもの。
痛みや恐怖からは何も生まれない。
「心」が通わない指導は単なる独善。
だから、僕はみんなに笑顔を向けていきたいと思う。
伝えたいから。
みんなを大切にしていきたいという気持ちを。
何が良くて何が悪いかなんて、まだ僕には語れない。
でも、「暴力」は笑顔を生まないことを僕は学んだ。
悲しい思いをする人がもうあらわれないことを
僕は祈ります。